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再びのタイ旅行
雨季のバンコクへ、再び ― 二度目のタイ旅行記
こんにちは!営業スタッフの北嶋です。タイのバンコクへ行ってきました。
7月中旬、タイのバンコクへ旅に出た。一昨年の9月に続く、二度目の再訪である。
一度その街の空気を吸ったからこそ、見えてきた行き先があった。
王宮、水上マーケット、メークロン鉄道市場、そしてチャトチャック市場。
一度目の旅で街の輪郭をつかんだからこそ、「次はここに行ってみたい」と自然に思えた場所ばかりを、今回は選んで歩いてみることにした。
二度目だから見える景色
初めての土地というのは、驚きにあふれている代わりに、どこか気忙しい。地図を片手に、目の前のことをこなすだけで精一杯。けれど二度目となると、不思議と心に余白が生まれる。道の匂いも、人の話し声のリズムも、どこか懐かしい。「一度歩いた街だからこそ、次に行きたい場所が見えてくる」という静かな実感を胸に、今回は一つひとつの場所にしっかりと足を止めることができた。
そしてもう一つ、二度目の旅にしかない喜びがある。それは、あの時美味しかった一皿を、もう一度確かめに行くということだ。新しい店を探し当てる高揚感とは違う、記憶の中の味覚と静かに再会するような感覚。旅の思い出というのは、初めての発見と、懐かしい再会と、その両方でできているのだと、今回しみじみ実感した。
チャオプラヤー川のほとりで
今回の旅で、忘れがたい体験がもう一つあった。滞在先に選んだのは、チャオプラヤー川沿いに佇む老舗ホテルである。街の中心部の喧騒から少し距離を置いたその場所は、部屋の窓からは、行き交う貨物船やロングテールボートのエンジン音、川面に落ちる夕陽の光が静かに迎えてくれた。

一日中歩き回り、蒸し暑さに体力を削られた身体を、川風の吹くテラスでそっと休ませる時間は、旅の中でも格別だった。喧噪の市場から戻り、歴史を重ねたホテルのロビーに一歩足を踏み入れると、時間の流れが少しゆっくりになるような感覚がある。老舗ホテルならではの重厚な調度品や、行き届いたもてなしに触れるたび、「バンコクという街に、少し深く根を下ろせた」ような気がした。喧騒の中を駆け回る昼間と、川のほとりで静かに過ごす夜。そのコントラストこそが、今回の旅に厚みを与えてくれたのだと思う。
王宮 ― 金色に沈黙する記憶
まず訪れたのは王宮だった。金色に輝く尖塔、細部まで彫り込まれた装飾。写真では何度も目にしていたはずなのに、実際にその前に立つと、言葉がすっと出てこなくなる。



タイという国が積み重ねてきた信仰と美意識の重さを、肌で受け止めるような時間だった。一度目の旅で街を知ったからこそ、今度こそここに来たいと願っていた場所に、ようやくたどり着けたという感慨が、じんわりと胸に広がっていった。

水と線路の市場 ― 生活が息づく場所
ツアーを予約し向かったのは水上マーケットである。運河にひしめき合う小舟から、色とりどりの果物や湯気の立つ惣菜が売られていく。観光地として整えられた部分はあるにせよ、水の上で商いを営むという営みそのものに、静かな驚きがあった。




そしてもう一つ、強く印象に残ったのがメークロン鉄道市場だ。線路のすぐ脇、いや線路の上にまで商品を広げるこの市場は、列車が近づくたびに一変する。店主たちは慣れた手つきで屋根やテントをたたみ、商品を素早く線路脇へ引き寄せる。轟音とともに列車が通り過ぎたかと思うと、何事もなかったかのように、また元の賑わいが戻ってくる。その一連の所作には、逞しさと、日々の暮らしから生まれた知恵とが同居していた。ガイドブックで知識としては知っていたはずなのに、目の前で繰り広げられる光景には、静かに息をのんだ。

チャトチャック市場 ― 迷い込むことこそが目的―
今回の旅で、私が一番楽しみにしていたのがチャトチャック市場だ。
週末だけに姿を現すこの市場は、通路が幾重にも折り重なる、まさに迷路のような場所である。衣料品、雑貨、骨董、生き物まで、ありとあらゆるものが所狭しとひしめき合い、目当ての店へたどり着くだけでも小さな冒険だった。

今回はこの市場に、いくつかの願いを携えていった。
一つは、カレン族の伝統工芸であるカレンシルバーを手に入れること。素朴な佇まいの奥に、機械では決して再現できない手仕事の温もりが宿っている。


もう一つは、旅の記念にパスポートケースをあつらえてもらうこと。革の匂いが漂う店先で、、自分だけの一点が形になっていく様子を見守る時間は、何かを「買う」というよりも「授かる」ことに近い感覚だった。


そして最後に願ったのが、タイ王室にも愛されてきたベンジャロン焼と出会うことだった。色鮮やかな絵付けが幾重にも重ねられた小さな蓋物たちを前に、しばらく動けなくなってしまった。どれもこれも一つひとつ手で描かれたものだと思うと、選ぶという行為そのものが惜しくなる。長い時間悩み抜いた末に連れて帰った小さな蓋物は、今も部屋の片隅で、あの日の市場の喧騒と匂いを静かに思い出させてくれる。

そして最後に願ったのが、タイ王室にも愛されてきたベンジャロン焼と出会うことだった。色鮮やかな絵付けが幾重にも重ねられた小さな蓋物たちを前に、しばらく動けなくなってしまった。どれもこれも一つひとつ手で描かれたものだと思うと、選ぶという行為そのものが惜しくなる。長い時間悩み抜いた末に連れて帰った小さな蓋物は、今も部屋の片隅で、あの日の市場の喧騒と匂いを静かに思い出させてくれる。


汗とともにあった旅
正直に書けば、雨季のバンコクは容赦がなかった。7月の空気は湿り気を帯びて重く、少し歩くだけで汗が止まらない。市場を巡り、屋外の史跡を歩くたびに、体力はじわじわと削られていった。熱中症の一歩手前というかんじで何度も水を飲み、日陰で息をつきながらの観光ではあったけれど、それでも計画していた場所をすべて巡りきれたのは、二度目の旅だからこその落ち着きと、川沿いのホテルという静かな帰る場所があったからだと思う。

おわりに
一度歩いたからこそ行きたくなった場所を訪ね、前回美味しかった味をもう一度確かめる。そんな旅は、蒸し暑さに体力を奪われながらも、これ以上ないほど満たされた時間になった。同じ街に二度足を運ぶということは、一度目には見えなかった表情に出会い、その街との関係を少しずつ編み直していくことなのかもしれない。
チャオプラヤー川の川面が夕陽に染まっていくのを眺めながら、ふと、次にこの街を訪れるのはいつだろうかと考えた。三度目には、また少し涼しい季節に、また違う顔をしたバンコクに出会えるだろうか。
もし皆さんにも、一度きりで終わらせている街があるなら、ぜひもう一度、足を運んでみてほしい。そこにはきっと、忘れていたはずの記憶と、まだ知らなかった発見が、静かに待っているはずだから。







