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2026.03.02 スタッフの日常

艶を育てる 

こんにちは!営業スタッフの北嶋です。先日、東京へ行ってきました。年に1~2回は上京するのですが、今回はとても意義深い旅になりました。


 

艶を育てる

― 東京を歩く ―

時間をかけて出る艶が、いまは何よりも美しく見える。

 

東京に降り立つと、いまでも少しだけ背筋が伸びる。

かつて私はこの街で働いていた。


オフィスは八重洲にあり、日本橋や京橋、丸の内、銀座は日常の延長線上にあった。福岡にいる人にとってはどれも「東京」の一部に見えるかもしれないけれど、それぞれに表情が違う。八重洲はビジネスの匂いが濃く、日本橋は老舗の風格があり、京橋は美術館や画廊が静かに点在する街。丸の内は整然として洗練され、銀座は華やかさの奥に落ち着きがある。

当時の私は、スーツにハイヒール。
その界隈を足早に歩き、組織の一員として、都会のリズムに遅れないように少しだけ背伸びをしていた。

 

2016年1月、私は福岡へ戻った。
四十代後半に差しかかり、この先も大きな会社で働き続けるより、二十代前半のころ夢中になった仕事――注文住宅で、お施主様のためだけに家をつくる仕事を、生涯の仕事にしたいと思ったからだ。

福岡での暮らしは、海が近く、空が広い。

お施主様と向き合い、図面を囲み、ゆっくりと家の形を決めていく。東京とは違う温度の中で、時間をかけて仕事をしている。

それでも東京は、私の中から消えない。
年に数回、こうして訪れる。

 

今回の旅の目的は五つあった。
・京橋のアーティゾン美術館で開催されているモネ展を見ること。
・手入れをしながら長く履ける革靴を、きちんと試着して買うこと。
・古くなった蒸篭を買い替えること。
・八重洲で元同僚と会食すること。
・銀座で、先輩と会食すること。

 

しかし本当は、いまの私が東京をどう歩くのかを知りたかったのだと思う。

 

モネを初めて見たのは二十代のころ、パリのオルセー美術館だった。
初めてのパリに高揚し、背伸びをして、ただ必死に見ていた。
「本物」に触れている自分に酔っていたのかもしれない。

京橋で再び向き合ったモネは、静かだった。
雨の日の美術館で、色のにじみをゆっくりと眺める。

 

輪郭は曖昧で、光は溶け合い、
それでも確かにそこにある。

わかろうとしなくてもいい。
急がなくてもいい。

時間が、見え方を変えるのだと知った。

 

丸の内から銀座へ歩いた一日目。

パラブーツを履き比べる。「ミカエル」の黒を選んだ。
三日目にはスコッチグレインで、靴磨きの練習になる茶色の革靴を選んだ。

何足も履き替え、鏡の前で立つ。
十年履ける靴を選ぶということは、十年後の自分を想像することでもある。

少し皺が入り、やわらかな艶が出ているだろうか。
そんな未来を思い描けることが、うれしかった。

 

 

阿佐ヶ谷では蒸篭を買い替えた。
木の香りを確かめ、手に取って選ぶ。数年前、蒸篭デビューのときと同じお店の蒸篭。ネット購入ではなく、手に取って買いたかったのだ。

 

 

そこで、山葡萄の籠バッグと出会った。

まだ艶はない。
これから手の脂を含み、少しずつ深い色に変わっていく。

山葡萄のかごバックは母娘など2代、3代に受け継がれると聞いたことがある。

完成されたものではなく、これから育っていくものを選んだ。
それは、いまの私にとても自然な選択だった。

八重洲のレストランで元同僚と再会した夜。
再開発で街の景色は変わっていたけれど、席に着き会話が始まると、一気に十五年前に戻る。

あのころの忙しさも、笑い声も、少しの焦りも。
過去は遠くではなく、いまの自分の中にちゃんと続いている。

懐かしさに浸るというより、
あの時間があったからこそ、いまの私がいるのだと素直に思えた夜だった。

 

銀座のマリアージュフレールで過ごした時間は、今回の旅でいちばん私らしかった。

バラの香りの紅茶をゆっくり味わう。

開店直後の店内は他のお客様もおらず。
ほんのひととき、静かな空間を独り占めする。

 

東京の真ん中で、急がない。
ただ、香りを吸い込み、カップを両手で包む。

ふと、モネの光を思い出す。
やわらかく溶け合う色。

ああ、私はいま満ちているのだと思った。

 

福岡に戻った翌日の夜、革靴の箱を開けた。

やわらかな布でクリームをのせ、円を描くように磨く。
少しずつ、控えめな光が宿る。

これはプレメンテナンス。
これから長く付き合うための、はじめの挨拶のような時間。

この靴でどこへ行くのだろう。どんな人と出会うのだろう。

胸が高鳴るというより、
静かに、この先が楽しみだと思った。

今回の旅で何度も心に浮かんだのは、時間をかけて出る艶だった。

すぐに輝くものではなく、
触れ、重ね、使い続けた先ににじみ出る光。

山葡萄の籠も、革靴も、蒸篭も。
そしてきっと私自身も、まだ途中だ。

だからこそ、楽しみなのだと思う。

急がなくていい。
きらびやかでなくていい。

時間を味方にしながら、
やわらかく、しなやかに。

そんなふうに、これからの日々を重ねていきたい。